英語を話す時に「間違える」のがこわい?でも早い段階で間違えるのは大切なんです。
あなたは、英語を話す時に「間違える」ことがこわいと感じますか?
おはようございます!
大人の英語の勉強を楽しくしたい!なりきり英語のススメ☆のめぐぺ。です。
このブログでは、英語の勉強のことやそれ以外のことについても紹介しています。
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先日、母に「なぜ英語を勉強するのか?」という質問をした時のことを
書いたのですが、
家から出るのがめんどくさい?それでも母が英語を勉強する理由?
日々一生懸命インプットしていても、その成果を試すのがなぜかSiri(笑)。
でも、Siriだと対応できる言葉の幅も狭いので、思ったように答えてはくれない
こともありますよね。
私も、過去何度かSiriで遊んだことがありますが、例えば日本の地名は認識して
もらえなかったり、全く違う単語になっていたことがありました。
いくらできる範囲で試している、とは言っても、これでは試しがいがないなぁ
と感じました。
相手が人であれば、正しい言い方を教えてもらうことも、他の言い方を提案して
もらうこともできますが、Siriだとそこまではできませんよね。
かるーいやり取りはできたりしますが、いくつか質問しているとそのうちに
返ってくる答えがずっと同じになったりします(笑)
英語のトレーニングのひとつとして、「ひとりでもできる!」練習方法を
紹介したりしていますが、Siri相手に話すのとは少し違います。
「ひとりでもできる!」練習は、自分の英語の基礎力を鍛えるものだから。
ボクシングで言えば、相手からどんなジャブが来ても返せる力、というか、
私のへっぽこ具合ではなかなか対応しきれていませんが、MTBを乗りこなすため
に、「普段から筋力をつけておくこと」を意味します。
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時々、発音ができているかチェックする一環としてSiriに話しかけてみるのも
楽しいかもしれませんが、トレーニングしている中に入るか?と言うと、No。
母の言うように、「英語をスラスラ言えるようになれたらいいな〜」と思うので
あれば、やはり対応力を養うという視点からすると、相手は生身の人間の方が
いいと思います。
ちなみに、英語の会話力を鍛えたいと思った時、いきなり飛び込んでしまえ!と
荒療治に出ることもあるかもしれませんが、知識ゼロで飛び込んでしまった場合、
対応できなさ過ぎてただただショックを受ける、という可能性もあります。
早く結果が欲しくて一番激しいところに突っ込むこと、私もたまにやりますが、
できないこと、知らないことばかりで傷だらけになることもしばしば。
これは、実際のケガだけのことではありません。
英語の問題集であれば、自分のレベルよりもはるか上のものをやってみたところ、
答え合わせをしたら答案が赤ペンで真っ赤になったとか、
たいして経験もないのに、自転車で山に上ってこわくて半べそになったり、
最終的には自転車には乗らずにトレランになった(自転車は同伴者に押して
降りてもらった)とか、痛い思いもいっぱいしています(^_^;)
でも、幸いそのこと自体を嫌いになることもなければ、失敗を嘆くこともなく、
「もっと経験積まなきゃだなぁ」と前向きにとらえていたんですよね。
できなかったことはくやしいですが、それはそれで珍道中というネタにもなるので、
正直おもしろがっています。
なぜこんな話をしているかと言うと、間違えることに抵抗がある人が多いから。
相手を傷つけたり、犯罪を犯すのはいけませんが、英語をマスターする上での
間違いは、ある意味必要な過程です。
言いよどみ、勘違い、言葉間違い、発音間違い、アクセントが違う、などなど、
いろんな間違いがありますが、普段使わないものを使う以上、どんなに意識して
いても、間違ってしまうことはやっぱりあります。
私も、実際に言ってみたら「あれ?違うの?」ということもありますが、
その時は何度か言い直してみたりして、相手が「ああ、あれね」となった時の
言葉や表現をもらさず拾うことにしています。
結局、言語の習得はこの積み重ねなんではないでしょうか?
以前に、本屋さんでちら見した元Googleのピョートルさんも、
「なるべく早い段階で間違えていた方がいい」と言っていました。
私達がある程度正しい日本語を話せるのは、幼少時代にたくさん間違えたから、
ということもありますよね。
英語についても同じこと。
わかっていることを無理に間違える必要はありませんが、習いはじめにたくさん
間違えることで、「これはオッケー!」「これは違う」の選別ができるようにな
っていきます。
初期段階にもかかわらず、ちょっと間違えると「間違えるのがこわいから」と
言葉を使うのをやめてしまったりする人がいますが、それは違うんですね。
間違えっぱなしは成長がありませんが、一度間違えたものは次に活かす!
それが、基礎力を鍛えることにもなり、応用力にもなっていきます。
自分が間違えたことは、他の人が間違えた時に気づきやすいからです。
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私の母が、「人に出会うのがめんどくさい」だの、「Siriでは試している」だの、
いろいろ言っているのは、結局生身の人間相手に話すことがこわい気持ちもある
からではないか?と私は思っています。
なぜなら、「間違えるかもしれないから」。
でも、ここを抜けない限り、先には進めないのも事実。
今後、母がどう今の状況を打破するのか?見守りたいと思います。
まとめ
以上、今朝は先日の「母はなぜ英語を勉強しているのか?」の続編でした。
自分が遠の昔に通り過ぎてきたことなので、すでにあたりまえになっていること
も多いですが、ものごとの仕組みって実はとてもよく似ています。
私は、英語の勉強を通して気づくことが多いですが、他のことに取り組んだ時に
「あれ、これって同じじゃん!」とあらためて思うことがあります。
英語で培った「基礎力」は、他のことでの「応用力」になる。
そう思っています。逆もしかり。
「間違うのがこわくてできない」と思ってしまう方は、ぜひこの春思い切って
「間違えて」みてください。
(知っていることを無理に間違えるという意味ではありません)
実はそんなに構える必要なんてなかった!とわかれば、普段のトレーニングも
もっと楽しめるようになりますよ。
私も母にそう伝えています。
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<次回定期ライブ配信予定>
2019年3月27日(水)19:00〜