以心伝心からの開放?英語の勉強は「自信のない自分」が違う世界に行けるきっかけだった!


おはようございます。

めぐぺ。です。

 

今日は台風予報ですが、静かな朝です。

嵐の前の静けさでしょうか。

大きな被害もなく早々に去ってくれることを祈ります。

 

毎日なにがしか英語の話題について発信している私ですが、

以前はある意味強迫観念的なところもあった気がします。

今朝、歯磨きをしていたらふと思い出しました。

 

英語を話している時に感じた自由な感覚

英語が大好き!なのは変わらないのですが、

取り柄のない(と思っていた)自分の強みが欲しかったのかも

しれません。

 

英語ができるようになれば、違う世界に行ける!

と思っていた節がありました。

なぜそう思ったのかはわかりませんが、

英語を話している時は、

日本語を話している時も自由な感覚があったのは確かです。

 

以前に、Twitterで、

「海外に出ると開放感を感じる女性は多い」

「日本で抑圧されているから」

という内容のつぶやきを見たことがありました。

日本で抑圧されているかどうかの自覚はありませんでしたが、

海外を旅している時は確かにかなりの開放感を感じます。

 

英語で他の国の人といろんな話をしている時も、

日本語で日本の人とだけ話をしている時よりも楽な感覚。

もしかすると、

日本語で言うところの「言わなくても察しろよ」的なことが

英語ではありません。

日本語だと、どこかぼやっとしてしまうところも、

英語だときちんと伝えないといけないので、

言いたいことをはっきり言ってもいいところが

私には合っていたのかなと思います。

 

「以心伝心」ではなく、自分の気持をきちんと相手に伝えること

もちろん、

はっきり言うにしても相手を傷つける目的で言うのは

間違いです。

 

ただ、言わなくても察しろよの場合は、

「察して」ほしい内容は人によってそれぞれなので、

自分が思っていることと、

相手が実際に意図していることは違うこともあります。

言葉で伝えても違う捉え方をすることだってあるんですから、

あたりまえですよね。

 

日本語だと言いたいことも言えないことが多かった私には、

英語を話している自分は別の人間になったような感覚がありました。

だからこそ、自分の言葉できちんと伝えられる楽しさを、

より大きく感じたのかもしれません。

だからこそ、伝えるための言葉のレパートリーを増やしたかったし、

より自然に話せるようになりたかったのかなとも思います。

 

実際、覚えれば覚えるほど、研ぎ澄まされる感覚もあったし、

ちょっとした優越感もありました(←誰に?)

少なくとも、自分の中の劣等感を、

英語を話している間は感じなかったことは、

自分に自信が持てなかった私にとっては大きかったんですよね。

 

誰でも、自分が好きなことや誰かにほめられたことって、

嬉しいし、もっとできるようになりたいと思いますよね。

その対象のひとつが私は英語だったんですよね。

1個でも多く単語を覚えて自分のモノにしたい!

その気持ちだけで勉強を続けていました。

 

最初は少しでも自分に自信が持てるものが欲しくて

やりはじめたところもありましたが、

勉強を続けるうちに、自分の自信が持てることになりました。

 

まとめ

以上、今朝は私の英語の勉強初期の頃のお話でした。

 

英語の勉強をする理由はいろいろあると思いますが、

私の場合は、必要に迫られてというよりは、

自分が自信を持てるものを作りたかったということも

理由のひとつでした。

 

英語ができるようになれば、違う世界に行ける!

=英語ができなければ!という強迫観念のような思いにもなり、

負けそうになる自分を鼓舞していた時期もあったように思います。

そんな時期もあったからこそ、どんな状況も楽しみながら勉強できる

自分でありたいと思ったのかもしれません。

 

今後も、自分自身の英語の勉強を楽しみながら、

日々の勉強の中での学びや発見を紹介していきたいと思います。

興味のある方はぜひ、のぞいてみてくださいね。

 

このブログが誰かの学びになれば幸いです。

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